ASIK! 小悪魔絵日記 -7ページ目

すごく重たい話

 

1年以上ぶりの更新なのに重たい話で、ごめんなさい。
COVID-19についての重たい話題なので
読みたくない方はスルーしてくださいますように。












受け止めきれないから・・・
悪夢を見てるんだろう、こんなの現実なわけがない
・・・って思うようにして逃げてきたんだけど
3ヶ月経っても悪夢のままなので
現実を見て記録に残すことにしました。



7月頃のインドネシアは感染する方や亡くなる方が異常に増えていました。

用事があって私も家主の会社に同行したある日
運転手さんが具合が悪いと言い、翌日はお休み。

翌々日には体調も良くなってきてるようで
家主も運転手さんも私もシノバック接種済みだけど
接種してれば絶対に感染しないってわけじゃないし
毎日のようにあちこちから家主に訃報が入り
インドネシア在住日本人の訃報のニュースもあり
近所で陽性だった2人の方が亡くなったりもしてた時期だったので
念のため抗原検査をしてもらった結果、陽性。

その翌日に家主と私も抗原検査した結果、陰性。



運転手さんは我が家のすぐ近所に住んでいます。
体調は悪くないそうだけど、陽性は陽性。
家庭内感染しちゃったらまずいので
運転手さん宅の隣にある下宿で隔離生活開始。

『外に座ってマスクしたまま日向ぼっこだけならいいけど
タバコ吸ったり周りの人とマスクなしで会話してるから
注意したら放っといてって言われた! やめさせて!』
って、ご近所から続々と家主に苦情の連絡が入るほど
普通に過ごせてる様子だったけど、味覚臭覚はないそうで
1週間後にPCR検査した結果、変わらず陽性。

ご近所から『顔色悪いのに一服してた』なんて情報も入るので
このまま下宿に隔離だと喫煙しちゃうし、急変も怖い。
でも病院はどこも満床。

ASIAN GAMEの時に選手の宿泊施設として使われてた場所
(今は隔離生活用になってる)に空きを見つけたけど
糖尿病、高血圧、高コレステロール、肥満と揃ってて
リスクが高すぎるから受け入れられないと拒否される。

その夜か、その翌日の夜に、突然息苦しさがあったけど
幸い空きがあった近くの病院にすぐ入院できたらしいと聞き
家主が会社帰りに奥さんに様子を尋ねたら
問題ないようだと明るく話していて
犠牲祭前で、あちこちで牛や山羊が売られてたもんだから
牛を早く見に連れてって〜っと大泣きする三男を連れて
『じゃっ』と行ってしまうほどの普通っぷりだったらしいのに…



その2日後の午前中、呆気なく亡くなってしまいました。
具合悪いって言った日から、2週間弱。

前日の夜に『明日、コレステロールの薬とリンゴを届けて〜』
って奥さんに連絡があったので、当日の朝に看護師さんに預け
直接は会わせてもらえないので、家に戻ったところで電話がかかってきて
『恋しいよ、すぐ会いに来て。暗くなってきた…』と言うので
すぐ病院に戻ったけど、やはり直接は会えないのでまた家に戻り
どうしていいのか不安で家主にメッセージ送ったりしてたら
『亡くなった』と病院から連絡が来たそうです。



残酷すぎるよ。

急変するって耳にしたりはあったけど・・・急すぎでしょ。

もう点滴とれてたんじゃないの?

あと1〜2日で退院できるだろうと言われてたんじゃないの?

なんでこんなことになったの?

外で一服できるほど元気だったのに。

どうしてたら良かったんだろう。

いったい何が起きたの?

奥さんと子供達どうしたらいいの?

私がこうして次々思ってるのと同じことを
運転手さんも目の前が暗くなりながら思ったのかもしれないよね。



亡くなった時点では陰性だったそうで、家の近くの墓地に埋葬できたけど
病院から救急車で運ばれてきた彼の遺体はビニールでグルグル巻きにされ
通常行われる葬儀のあれやこれやは何もできずに、すぐ埋葬。
(ムスリムさんなので土葬です)

いつもなら、人が集まる何かがあると必ず大声出して仕切ってる
彼の姿がソコにないのが、ただただ不思議で嘘くさくて悲しくて。

奥さんだけは病院で防護服を着て、ビニールに包まれる前の姿に
会うことはできたそうで、その時に撮ったという写真は眠ってるみたいに安らかでした。



家主がすぐに手配したので、当時ほぼ無職だった運転手さんの長男は
今は家主の会社でオフィスボーイとして働き、安定したお給料をもらえています。
食費を節約したら困るので、毎月我が家からお米も差し入れしています。
なんとか乗り越えて笑顔で生活していけますように・・・



運転手さんが亡くなる前日に近所で1人、同じ日に近所でもう1人。
その後も家主のスタッフやスタッフの家族が数人。
メンタルやられかけたよ・・・いったい何が起きてるんだろうね。



運転手さん、小さな問題はたくさんあったけど移住してきた頃から
ずぅーーーっと我が家で働いてくれて、ありがとう。
家主の出張が多く、バリ帰省時も置いてかれちゃったりで家に1人残され
日本じゃ考えられないようなハプニングが起きたりもあったけど
なんとか困らずに生活できてたのは運転手さんの助けがあったから。

日本から友達が遊びに来てくれた時も、ただの移動だけじゃなく
ガイドやボディーガードもしてくれてたと言える働きっぷりだったよね。
いっぱい、ありがとう。

ねぇ・・・今どこで何してるの?

 

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【本日の幸せ度:ー100

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